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MONOSHIRI日本酒而今
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而今

令和時代の頂点——大西唯克が再定義した「フルーティー」の最前線

令和の日本酒シーンで、若い世代の間で最も熱く語られる銘柄がある。三重県名張市の小さな酒蔵が醸す「而今(じこん)」。SAKE COMPETITIONでは常連の上位入賞、日本酒バーのメニューでは常連の売れ筋、そして酒販店では「入荷即完売」が珍しくない。しかしこの銘柄が生まれたのは、2005年——つい二十年ほど前のことである。江戸時代から続く老舗の六代目が、廃業寸前の実家を立て直すために選んだ道が、日本酒の未来そのものを照らすことになる。名前の由来は禅の教え——「過去でも未来でもなく、今この瞬間に全力を尽くす」。令和の名酒は、その言葉通りに生まれた。

200年続いた蔵の、ほとんど忘れられていた名前

而今を醸す木屋正酒造は、文政元年(1818年)、三重県名張市の初瀬街道沿いに創業した。伊賀盆地の北西、奈良と大阪を結ぶ古い街道の宿場町である。創業から200年、木屋正酒造は地元向けの日本酒「高砂」を細々と造り続けてきた。代々家族経営で、決して大きな蔵ではない。年間生産量も数百石規模、業界地図でいえば「地方の小さな酒蔵」そのものだった。

1990年代後半、この蔵も日本酒不況の煽りを受けて経営が厳しくなっていた。先代の大西祐一郎氏は高齢、跡取りの唯克(ただよし)氏は東京農業大学で醸造を学んだ後、一度は別の道に進むことも考えた。しかし実家の蔵を見たとき、唯克氏は決断する——「自分が醸す酒で、この蔵を取り戻す」。

2004年、蔵に戻った唯克氏は自ら杜氏として一造りを始める。そして2005年、この新しい日本酒に「而今(じこん)」と名付けて世に送り出した。六代目としての初仕事、200年の蔵がまったく新しい顔を見せた瞬間である。

而今という名前は禅宗の言葉で、「過去でも未来でもなく、今この瞬間」という意味。蔵を継いだ若者が自らに課した、誓いのような銘柄名である。

「フルーティー」の再定義——香りと透明感の二重奏

而今の味わいを一言で表すなら、「果実のような香りと、水のような透明感の同居」である。グラスに注いだ瞬間、立ち上るのはパイナップル、メロン、白桃、洋梨——まるで熟した果物を切ったばかりのような、明確で華やかな吟醸香。しかし口に含むと、その印象は一変する。甘ったるさはまったくなく、舌の上を滑るように酒が通り抜け、後味は清水のようにすっと消えていく。

この「香りは華やか、味は軽やか」という矛盾を成立させているのが、大西唯克氏の設計思想だ。彼は東京農業大学時代から「香りと味のバランス」を徹底的に研究してきた。派手な吟醸香だけで終わる酒ではなく、飲み終わった後も口の中に心地よい余韻だけが残る——その設計図を、而今は見事に実現している。

  • 酵母選び:華やかな香りを出しつつ、後味のキレを損なわない酵母を厳選
  • 低温発酵:もろみを長期間低温で育て、香り成分をゆっくりと引き出す
  • 搾りの妙:搾りのタイミングを見極め、雑味の出やすい部分を使わない
  • 火入れの工夫:香りを飛ばさない低温火入れで、瓶詰め後も香りを保つ
酒米は三重県産山田錦を中心に、五百万石、雄町、八反錦、愛山など多彩に使い分け、それぞれの米の個性を最大限に引き出す。仕込み水は蔵の井戸から湧く名張川水系の中軟水で、発酵のバランスを絶妙に整える。

SAKE COMPETITION常連——令和の審査基準になった酒

2012年に始まったSAKE COMPETITIONは、全国の日本酒を利き酒で評価する業界最大級の品評会だ。而今はここで常に上位入賞を続けており、GOLD、シルバー、純米部門1位など数々の栄冠を獲得してきた。特に純米吟醸部門での評価は極めて高く、受賞のたびに入荷待ちの行列が酒販店に並ぶ現象が起きている。

興味深いのは、而今の評価が「専門家」と「一般消費者」の両方から高いことだ。審査員が点数をつける品評会で上位に入るだけなら、技術的に優れた酒ということになる。しかし而今は居酒屋やバーのメニューで若い女性にも選ばれ、「初めての日本酒として美味しいと感じた銘柄」として語られることも多い。プロと素人の両方を唸らせる酒——これは簡単なようで、実はきわめて難しいことである。

八反錦、雄町、愛山——米によって表情を変える魔法

而今の面白さは、同じ蔵元が醸しながら、使用する酒米によってまったく違う表情を見せることだ。これは大西唯克氏の「米の個性を最大限引き出す」という哲学の表れでもある。

  • 山田錦:王道の華やかさと上品な旨味、バランスの取れた優等生的な味わい
  • 五百万石:すっきりとした飲み口、軽やかでキレのある辛口寄り
  • 雄町:力強い旨味と深いコク、飲み応えのある骨太な一本
  • 八反錦:華やかでフレッシュ、若々しさと透明感が特徴
  • 愛山:ふくよかな甘みと優しい酸、女性的な柔らかさ
これらの違いは、ラベルの片隅に小さく記された米の名前を見るだけで、飲む前から期待を膨らませてくれる。而今を数種類並べて飲み比べると、「同じ銘柄なのに、こんなに違うのか」と驚かされるはずだ。一つの蔵が多彩な表情を持つ——これは職人技の幅そのものを示す証である。

而今に合わせる、令和の和食の作法

而今の華やかな香りと透明感は、料理との相性においても新しい正解を提示する。伝統的な日本酒であれば「料理を邪魔しない食中酒」が理想とされたが、而今は違う。料理と積極的に対話し、互いに高め合う「パートナー酒」なのである。

  • 白身魚の刺身・薄造り:鯛、平目、真鯵——白身の淡い甘みと而今の果実香が響き合う
  • 寿司:光り物(鯵、いわし、〆鯖)との相性は抜群。香りが生臭さを消し、米の旨味を引き立てる
  • 天ぷら:塩でいただく白身魚や野菜の天ぷらに、而今の軽やかさが最高に合う
  • フレンチ・イタリアン:意外にもホタテのカルパッチョ、白身魚のポワレなど洋食にも合う。ワイン感覚で楽しめる稀有な日本酒
温度は10〜13度の冷やがベスト。冷やしすぎると香りが閉じてしまうので、冷蔵庫から出して5分ほど置いてから注ぐのが理想だ。グラスはワイングラス、特に口がすぼまった白ワイン用のものが、吟醸香を最大限に引き出してくれる。

「今この瞬間」という名の哲学

而今が令和のプレミア日本酒として特別な位置を占めるのは、味わいだけの話ではない。大西唯克氏が酒造りに対して持つ姿勢そのものに、多くの酒ファンが共鳴しているのだ。

「過去の栄光にすがらず、未来の成功を夢見ず、ただ今日の一造りに全力を尽くす」——禅の教えを名前にした蔵元が、実際にその通りの生き方をしている。毎年の酒質をさらに上げるため、新しい米や酵母を試し、古い工程を見直し、納得できなければ出荷しない。200年続いた蔵を継ぐという重圧の中で、大西氏はむしろ「伝統の外側」に答えを求め続けている

而今のラベルには、派手なデザインも、物々しい説明書きもない。ただ二文字の漢字が、静かに誠実に佇んでいる。それは蔵元の生き方そのものを映す鏡である。

次にあなたがワインバーや日本酒バーで而今を見かけたら、迷わず一杯頼んでみてほしい。白ワイングラスに注がれた透明な液体は、初夏の果実のように香り立ち、しかし驚くほど軽やかに喉を通り抜ける。令和の日本酒がどこへ向かおうとしているのか——その答えの一つが、三重県名張市の小さな蔵から、今日も静かに発信され続けている。「而今」、今この瞬間こそが、最高の酒との出会いの時だ。

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