MONOSHIRI
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伊勢志摩サミットの乾杯酒——「作」という一文字に込められた誇り

2016年5月26日、伊勢志摩サミット初日のワーキングランチ。オバマ、メルケル、オランド——世界の首脳たちがグラスを掲げた瞬間、そのグラスの中で静かに泡立っていた日本酒がある。三重県鈴鹿市の小さな蔵、清水清三郎商店の「作 智 純米大吟醸 滴取り」。「作(ざく)」——たった一文字のその銘柄は、発表からわずか一晩で全国の酒販店の電話回線を麻痺させた。翌日には在庫ゼロ。ホームページはアクセス集中で沈黙した。シンデレラ銘柄の誕生である。

「作」という一文字が背負うもの——作り手・売り手・飲み手の三位一体

「作」という銘柄名には、清水清三郎商店の哲学が凝縮されている。酒の価値は作り手だけでは生まれない。それを売り届ける酒販店と、グラスを傾ける飲み手——この三者が揃って初めて「作」という漢字が完成する、という理念である。農作物の「作」、作品の「作」、そして共同で作り上げるという意味の「作」。三重の地酒蔵がこの名を選んだ時、彼らはすでに「造る酒」から「伝わる酒」へという大きな一歩を踏み出していた。

清水清三郎商店の創業は明治2年(1869年)。実に150年を超える歴史を持つが、途中で会社名を「清水醸造」に変更した時期があった。2012年10月、創業時の屋号である「清水清三郎商店」に原点回帰する形で社名を戻す。「作」ブランドの主力化と、この改名は連動していた。過去の実績ではなく、祖業の心に戻って酒を造り直す——自分たちは何者かを問い直した蔵の覚悟が、あの一文字に込められている。

「作」は完成品ではない。飲み手がグラスを傾けて初めて、一本の酒が完結する。

鈴鹿山系の伏流水と三重の米——「綺麗な辛口」の設計図

「作」の酒質を一言で言えば、綺麗な辛口だ。三重県の清酒は伝統的に甘口が多かった産地柄の中で、清水清三郎商店の目指す方向は明確に異なる。口に含んだ瞬間は柔らかく、喉に流れ込む時には切れ味があり、余韻は澄み切って長くは残らない。料理の味を邪魔せず、むしろ引き立てる——食中酒としての理想形を追いかけた設計である。

この味わいを支えているのが、鈴鹿山系から注ぐ伏流水だ。やや硬めのミネラルを含んだ仕込み水は、発酵を旺盛にし、キレのある酒質を生む。酒米には山田錦、神の穂(三重県の酒造好適米)、五百万石などを使い分け、それぞれの品種に応じて精米歩合を50%〜35%まで磨き上げる。特にサミット乾杯酒となった「智(さとり)純米大吟醸滴取り」は精米歩合40%以下、一滴一滴が自然に落ちてくるのを待つ最高級の絞り方で仕上げられている。

  • 仕込み水:鈴鹿山系の伏流水、発酵力を引き出すやや硬めの水質
  • 酒米:山田錦、神の穂、五百万石を品種ごとに使い分け
  • 精米歩合:40%〜50%を中心に、大吟醸クラスは35%まで
  • 味わい:立ち香は控えめ、含み香は華やか、後味はすっと消える

SAKE COMPETITIONとサミット——実力が追い風に変わった瞬間

「作」が世に知られるようになったきっかけは、実はサミットよりも前にさかのぼる。国内最大級の日本酒品評会SAKE COMPETITIONで、作は純米酒部門の上位を連続で獲得していた。2012年には最高賞「GOLD」を受賞、2013年、2014年と純米吟醸部門でもトップクラスの成績を残す。つまり、サミット選出は「無名の地酒が抜擢された」物語ではなく、すでに業界内では「次世代の顔」と目されていた蔵が、ついに舞台に立った物語だったのだ。

清水慎一郎社長は、東京農業大学醸造科を卒業後に家業に戻り、精米歩合や酵母の選定、発酵温度の管理を科学的に見直した。杜氏制度に頼らず、社員が一丸となって酒を造る「社員蔵」のスタイルを早くから取り入れ、再現性の高い酒造りを確立してきた。感性と勘ではなく、データと検証——日本酒業界のクラフトマンシップに、分析的なアプローチを持ち込んだ先駆者の一人である。

グラスの選び方と料理との出会い——「作」を最大限に楽しむ作法

「作」は万能選手だが、その繊細さを引き出すにはちょっとした作法がある。

  • 温度は15度前後。冷蔵庫から出して5分ほど置くと、香りが最も立ち上がる
  • ワイングラスで。ぐい呑みより、ワインの白用グラスの方が含み香が膨らむ
  • 和食なら白身魚の刺身、洋食なら鶏のコンフィ。油脂を軽く流しつつ、米の旨味が残るペアリング
  • グラスは満杯にしない。3分の1程度にとどめて、香りの対流を楽しむ
特に「作 智」の系統は、伊勢海老、鯛、平目といった上品な白身魚との相性が抜群だ。刺身醤油の塩分を受け止めつつ、魚の甘みを背後から押し上げる。酒が料理の後ろで歌う——まさにサミット晩餐の設計思想そのものを、家の食卓でも味わえる。

三重の小さな蔵から世界へ——「作」が問いかけるもの

伊勢志摩サミットから10年近く経った今も、「作」は入手困難銘柄のリストから外れていない。生産量は蔵の規模上限に近く、全国の特約店にわずかずつ配分される状態が続く。だが清水清三郎商店は、規模を急拡大させることを選ばなかった。「自分たちの目が届く範囲で、最高の酒を」という姿勢を崩さず、むしろ精米技術や発酵管理の精度をさらに上げ続けている。

日本酒業界では、国内消費量がピーク時の3分の1以下にまで落ち込んだと言われる。そんな逆風の中で、三重の小さな蔵が世界首脳の食卓に選ばれ、そして今も予約リストが埋まり続けている。品質は、市場の縮小を理由にしない——「作」という一文字は、日本酒業界全体への静かなメッセージでもある。

サミット以降、「作」の人気は「入手困難プレミア銘柄」という皮肉な形で加速した。特約店で見かけた瞬間に即購入、ネット通販では争奪戦、贈答用には予約必須——このような状況は、蔵元にとって決して理想ではないだろう。しかし清水慎一郎社長は、インタビューで一貫してこう語っている。「規模を追わないのは、品質を守るため。価格を上げないのは、飲み手を信じるため」。限定販売や高額転売を抑制するため、特約店との関係を重視し、小売価格を安定させる努力を続けている——この姿勢もまた、「作」という銘柄が背負う覚悟の一部である。

次に「作」を見つけたら、ぜひワイングラスに注いで、最初の一口を15度で味わってみてほしい。そこには鈴鹿山系の水と、三重の米と、データで酒を磨いた蔵人たちの誇りが、確かに息づいている。そして何より——その一杯を完成させるのは、グラスを傾けるあなた自身なのだ。

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